原始の日本①

縄文人の人骨

日本の歴史のはじまりは地球の温暖化

地球の温暖化。これが日本の歴史のあけぼのです。最終氷期の終了し、気候が暖かくなり、海面が上昇しました。その結果、日本は大陸から切り離されました。これにより、日本は大陸からの侵攻を受けることがなく、日本もほとんど海外に進行することがなくなりました。

まず現在の日本海の部分が陥没して日本湖となりました。しかし、北と南とは、まだユーラシア大陸と繋がっていたため、様々な動物が日本に渡来しました。北からはマンモスが、南からはナウマンゾウやオオツノジカがやってきました。これらの動物を追って、人類も日本列島に移動したと考えられています。

しかし、日本列島は火山灰が積もってできた酸性の土壌で、このような土壌では人骨は残りくくなってしまいます。そのため、日本列島で発見された人骨は、最も古いものでも新人段階のものです。

最も古い人骨は沖縄で発見されており、これらは背が低くて下半身が頑丈で、額が狭く、広い顔をしています。おそらく、黒潮に乗って渡来した人々だと考えられています。では、この人たちが「日本人」なのでしょうか。

「日本人」はいない

「日本人」は明治維新後に政治的に形成された戸籍上の概念です。「単一民族国家としての日本」という概念は明治以降に作られた政治的な政策、つまり幻想なのです。そのため、「日本人」という民族は存在しません。

アジア人(モンゴロイド)は、南方アジア人(古モンゴロイド)と北方アジア人(新モンゴロイド)に分類されます。

北方アジア人は、寒冷な気温に適応したため、胴体が長くて、顔面の凹凸が少なく、一重まぶたであることが特徴です。

一方、南方アジア人は、身長が低く、顔の幅が広くて平たく、堀が深い顔立ちをしています。この南方アジア人です。この後の旧石器時代や縄文時代に日本に住んでいた狩猟採集民は、この南方アジア人です。

しかし、さらに時代が下り、中国や朝鮮半島から人々がやってくるようになりました。彼らは北方アジア人です。そして、弥生時代や古墳時代になると「日本人」の人骨には北方アジア人の特徴が現れてきます。つまり、「日本人」は渡来人と混血を繰り返しながら、日本中に広がっていったと想像されます。

しかし、どの程度渡来人と混血をしたかは、地域によって差があります。日本の地域によっては、まったく混血をしなかった場所もあります。例えば、私の故郷の鹿児島は日本列島の南端にありますが、そこでは渡来人の影響が少なかったと考えられています。

この「混血」は日本で特有のものです。例えば、中国では、古いタイプの染色体をもつ男性はほとんどいません。これは、他の場所からやってきた民族におそらく武力で制圧され、先住民は絶滅してしまったからと考えられます。そのような制圧が起こるたび、文化や言葉は征服者の民族のものに完全に置き換わってしまいました。

しかし、日本では、比較的平和に狩猟採集民と渡来してきた農耕民族が同化していったと考えられています。「日本人」は複雑で多様な混血を繰り返してきた民族であり、遺伝的な研究から、現在でも混血の程度は地域によって異なります。またアイヌのように渡来系の人々とほとんど混血をしなかった民族もいます。

このように、日本人は様々な遺伝子の濃淡を持つ、異なる民族が混ざり合った単一ではない存在なのです。

参考文献: 倉本一宏『はじめての日本古代史』筑摩書房 (2019)

by Lina Japanese Writer/Translator
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